こんにちは、みきぴろです。
今回は「大学を卒業してから3年間務めた高校教員を辞めてお店を開業した話」について書いていきます。
僕の現在、静岡県沼津市でデザイン雑貨やプライベートブランドを中心に販売するお店を開業して3ヶ月が経とうとしています。


自分にはアパレルや雑貨の知識・販売のノウハウがあったわけでもなく、大学生の時に1年間服屋さんでアルバイトをした経験くらいでした。
そんな自分が新卒で入社した高校教員の仕事を辞めて、お店を開業した経緯について書いていきます。
contents
なぜ教員を辞めたのか
初めに正確な情報をお伝えしておきたいのですが、実は教員の仕事を完全に辞めたわけではありません。
一度退職をして、現在はお店を運営しながら高校の非常勤講師として週に3回授業に行っています。

教員には「教諭・常勤講師・非常勤講師」など働き方によって勤務体系が分かれています。
自分の場合は、大学卒業後の1年目を常勤講師、2〜3年目を教諭(専任)として3年間務めました。
現在は非常勤講師なので、時給制で授業のみ学校の仕事と関わっています。
非常勤講師は、時間的な余裕もあり副業が可能なので、お店の運営をすることができていると言った感じです。
教員の働き方に関して、詳しく知りたい方はこちらを参考にしてください。
https://teachforjapan.org/entry/column/2019/08/09/koushi-kyouin/
教員を辞めた理由
教諭として働いているときに、辞めたくなった理由は正直たくさんあります(笑)
その中でもここで書ける事として1番の理由は、「自分の時間がないから」でした。
平日は朝7時過ぎに出勤して、退勤するのは20時過ぎ・・・
土日や長期休暇も、部活動や校外活動。
自分にとっては社会人として初めて働いた場所だったし、教員の仕事はこういうものだと疑問を持つことなく働いていました。
しかし仕事を頑張れば頑張るほど、帰る時間も遅くなり、休みの日も無くなっていきました。
頑張ることが嫌ではなかったし、頑張った分だけ周りの人と達成感や感動を共有することができました。
その時感じたことは、教員の努力の成果は時間やお金ではなく感動なんだと思いました。

教職員はいかなる理由でどれだけ残業しても、「教職調整額」という時間外勤務手当を支給しない代わりに、基本給の4%(確かそれくらい)を平等に配分するシステムがあります。
なので、同期の何倍も努力したり、残業して準備をしたとしても平等に給与が振り込まれます。
詳しく知りたい方はこちらを参考にしてください。
どれだけ頑張っても給与所得は変わらない・・・
まあそこは良いとして、自分の場合は努力した分だけ多くの仲間と感動体験や達成感を味わうことができたなと感じています。
これは時間やお金には変えられないものだと感じたし、教員をしている多くの人がこのような部分にやりがいを感じて仕事をしているんだと思いました。
(頑張った経験は、これからの人生できっと大きな財産になるよ!By みきぴろ)

そんな毎日が続く中で、職場以外の友人と時間を合わせてお酒を飲みに行ったり、どこか出かけたりする機会は無くなっていきました。
週末に飲みに行くとなれば、先輩の先生や他の学校の先生たちと「昔はどうだったけど今はこうだ」とか「あの子はどうのこうので・・・」と言った話をしていました。
何か違うな〜と感じながら「学校の先生たちの飲み会ってこんな感じなんだ!」と思い、せっかくの週末を正直あまり楽しむことができませんでした。
せっかくの週末と言っても、土日は授業がないだけで部活や雑務などがあり、飲んだ次の日も学校の中で先生たちと会う毎日です。
そんな感じで学校以外の情報がシャットアウトされていく中、あっという間に終わってしまう毎日。
学校の制度や職場での付き合いに流されて教育活動をしていくうちに、何かがおかしいという違和感を持ちつつ、学校の中にいるとその違和感すら麻痺していく感覚がありました。
「こんな先生にはなりたくない」と思っていたのに、気付いたら自分がなっていたのです。

どうしたら理想の先生(思い描いた姿)になれるのか?
その答えはわかりませんでした。
でもこのまま同じ毎日を過ごしていっても、答えが見つからないことはわかりました。
そして教諭を辞める決断をしたのです。
やりたいことが見つかった
教員を辞めた理由の一つでもある「自分の時間がないから」に近いかもしれませんが、その延長線上にもう一つの思いがありました。
それは、「自分のやりたい音楽をやってみたい」でした。
僕が教えていた教科は「音楽」です。
「意外だね」「音楽っぽくない」とよく言われますが、その通りで音楽大学を卒業したわけでもなく、特別に何か音楽的に優れていたわけでもありません。
小さい頃から音楽が大好きで、できる楽器と言ったら「ピアノとサックス」を少々・・・
教育大学で音楽を専攻していましたが、正直自分よりも優れている人たちばかりでした。
自分の音楽経験やプロフィールはこちらの記事にまとめています。
そのため就職してからは、限られた時間を使って必死に音楽の勉強をしました。
授業で取り扱う内容だけでなく、演奏会の運営や楽器の練習。様々な楽器の知識や演奏の仕方。
中でも、世界の音楽文化については興味深く勉強していました。

そうやって勉強している中で、「実際に世界の音楽文化に触れてみたい」「自分の音楽を作ってみたい」と思うようになりました。
またひとりのプレイヤーとして、何も挑戦していないのに生徒に音楽の何を教えられるんだろうとも考えるようになりました。
そして教員を辞めた理由でもあった通り、このままの生活を続けていたら「一生この経験をすることはできないんだ」と思いました。
自分のやりたい音楽を作るためにも、お金を貯めて色んなところへ行く時間が必要だと思いました。
どうしてお店を開業したのか
教員の仕事を3年間して、転職する・・・
就職活動すら中途半端に行っていた自分が、転職活動などできるわけがありませんでした。
教員志望の多くの人は、複数の都道府県の教員採用試験を受けたり、私学適性検査、塾などの教育系の分野で就職活動を行うと思います。
もともと教員になろうと思って、教育実習に行き、教員免許を取得して試験を受ける人がほとんどです。
そのため転職といっても、かなり専門的な分野に絞られると感じていました。
そこで思いついたのが「自分で何か仕事始めたらいいんじゃないか」ということでした。

自分でと言っても、何をどうしたら良いのかさっぱりわかりませんでした。
そんな時、当初ブームになっていた1冊の本に出会いました。
それが、えらいてんちょう著『しょぼい起業で生きていく』です。
本を読み終えて思ったことが次の通りです。
とりあえず生活に困らない程度に小さなお店を開いて、今あるものや自分の好きなものから販売しよう。
これがスタートでした。
そして行動しなければ何も変わらないとも思いました。
起業と聞くと「資本金が・・・」とか「事業計画が・・・」、「融資がどうのこうの・・・」こんなイメージを持っていたのですが、しょぼい起業にはほとんど必要ありませんでした。
テナントを貸りて、商品を選んで置いておく。
ただそれだけです。
シンプルだからこそ、すぐに行動することができました。
そして店番をしながら、色んなことを考えよう。そのくらいのモチベーションでした。

実際やってみて、人が来ても来なくてもお店をちゃんと開けていると、商品を買う買わないに関わらず誰かしら来てくれました。
もちろん知り合いの人であったり、たまたま通りかかった人もです。
そこで話をしていると、商品の購入とは全然違う方向で「こんなことできますか?」とか「こういうのやったらいいのに」など質問やアドバイスを貰うようになりました。
なので今は、洋服と雑貨屋さんから「できることはなんでもやります屋さん」に進化している気がします(笑)
【洋服と雑貨屋さん→できることはなんでもやります屋さん】
実際調べながらお願いされたことを色々やってみると、できることって意外と多いんだなと感じました。
「自分で何か仕事始めてみたらいいんじゃないか」そう思ったことからスタートしたお店ですが、自分でやってみるとお店以外に仕事として多くの発見をすることができました。
最後に
新卒で3年間務めた高校教員の仕事を辞めてお店を開業した理由は、色々な事情が重なってたどり着いた結果でした。
正直なところ、教員の仕事は1度採用されれば定年まで働くことができる仕事です。
やりがいもあれば、感動やドラマもたくさんあります。
しかし自分の場合は、自由の利く個人事業を選びました。
今は非常勤講師として勤務していますが、学校という場ではなくても「何かを教えたり・一緒に挑戦する」ことはできるんだと感じています。
そのあたりについては、またブログにまとめていこうと思います。
今回はこれで以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。